森内先生が「将棋は三択だ。先手勝ちか、後手勝ちか、引き分けだ。将棋の神様は、一手も指さないで、それがわかっている。だから、指そうとしている時点で、まだわかっていないということだ。たとえそれが、AIだとしても」とおっしゃっていた。
それを聞いて、思った。
その三択のうちのどれかだとして、どのようなプロセスをたどるのだろうか。
ここからは私の意見だが、どんな手を指しても、先手勝ちなら先手勝ち、後手勝ちなら後手勝ちになるのではないだろうか。
もちろん、7六歩、3四歩、7八銀、のような手を指してはいけないが、少なくとも、初手はどんな手を指しても、定まった方向に向かうと思う。
ただ、想像されたことは、既に存在していることなので、これの上をいくプロセスに、なるのかもしれない。
だから、羽生先生の「将棋はバンカーの多いゲーム」というのは、遠い将来覆るかもしれない。
ゴルフで、バンカーのほうがフェアウェイキープよりも、バーディーの確率が上がるのだから。
「バカな」と思われることだが、世の中はブラックスワン。そういったことは平気で起こるものだ。
将棋キチガイの私は、すぐ人生に結び付けたがるのだが、もしかすると、人生も同じかもしれない。
ミスをしたほうが、かえって幸せな人生を送れる、というのは、よく聞く話だ。
それを裏付ける証拠が、AIによって示されるかもしれない。
将棋は、全部が計算できるゲームだ。
いずれ、すべての手順が解明され、ゲームとしては成立しなくなる日が来る。
AIの凄さは、人間の知能を持っているからではなく、膨大な統計と足し算と掛け算の驚異的なスピードだけで、人間を越えたところにあるのだから。
だた、森内先生も「AIもまだまだなので」といっていたから、私が生きている間は、大丈夫そうだ。
これも、想像の範囲内だが。