妾も家計簿を付けているが、使途不明金というものが必ず出る。
ただ、それを妾は固定費として割り切っている。
どうも妾は使途不明金が毎月出るようだ。これが政治資金収支報告書だったらいけないが、家計簿なら特に問題はない。
妾の貯金額が減るくらいである。
いくらなくそうと思っても、必ず出るのだから、そう考えたほうが気も楽になる。
ただ、減らす努力はしないといけない。
電気代や水道代と同じように、節水節電をこまめにすれば、使途不明金も少しは節約できる。
その浮いたお金で、遊ぶのだ。
ふと、「家計が苦しい」という人には零百思考の人が多いのではないかと思った。
「でるか」「でないか」しかなければ、それは何事も苦しくなってくる。
「でてもいいが、適量に」という考え方も大切なのではないだろうか。
そして、妾はそろそろ一人で家計簿を付ける時代ではなくなってくるのではないかと思っている。
江戸時代と比べて、あまりにも項目が増えているからだ。
遠くない将来、家計簿を付けてくれるロボットが出てくるかもしれない。
何事も一人でこなすには難しい時代になったのかもしらん、と家計簿を付けながら今日も思っている。