打首獄門同好会の「布団の中から出たくない」という曲がある。
寒くて布団の中から出たくない、という曲だが、妾にはこの感覚がまったくわからない。
寒かろうが暑かろうが、朝は布団から起きて作業するなり仕事に行くための準備をしなければならない。
それなのに「寒いから」という理由で布団に戻る感覚が私にはさっぱりわからない。
理由になっていない。ただの言い訳で、結局「仕事に行きたくない」とか「作業をしたくない」と言っているのと同じだ。
「あんたも心の機微がわからないねぇ」と言われそうだが、ダイエットとなにが違うのだろうか。
目の前に美味しそうなケーキがある。しかし、ダイエット中だから食べてはいけない。
けれど「目の前に美味しそうなケーキがあるんだから、仕方ないじゃない」と言って食べる。それを聞いた多くの人も「そうそう。つい食べちゃうんだよねぇ」といってうなずく。
この話を聞いて、どう思うだろうか。
妾なら「一生太ってろ」と思ってしまう。この感覚で、先述の寒いも論じているのだ。
やらなくてはならないことを、やらなくてもいいこと、或いは「やれなくても仕方ないよね。だって××だから」と逃げているのだ。
「でも寒いんだから」という人がいたら言いたいのだが、もし朝がアラスカ並みの寒さでも、その日朝早くから推しのライブがあったらどうだろうか。
「寒いからいいや」になるだろうか。まあ、なったとしたらそれくらいしか好きでなかったということだ。
人間は自分のアホさを露呈させず(露呈しているのだが)言い訳を正当化させるのがとても上手い。
やれ「繊細」だの「年だから」だの「昨日は飲み過ぎだ」だの。
なんとまあそれらしい理由が次から次へと出てくることか。それに対して、妾のようなことを論じると「心の機微がわかってない」とか「人情味がない」とかいわれるのである(これもまた自分のアホさを正当化させる言い訳なのだが)
「布団の中から出たくない」が一千万再生を記録しているということは、この歌詞が多くの共感を呼んでいるということだろう。そして、妾の偏見だと信じたいが、これに共感している人々は今日も今日とて、言い訳づくり発信に余念がない。
もっと言えば、その発言を言い訳だとすら思っていない。真実だとさえ思っている。
人間は自分の発言を正当化するためなら、自分さえ騙す生き物だから無理もないことか。
先述の曲を聞いて妾は、デブと同じくらい無行動力者が存在するな、と感じた次第である。