つんぼ

健常者はつんぼだ、と最近思う。

昔、聴覚障害の方と、筆談や手話でいろいろと話させてもらったが、なんのストレスもなかった。

こっちの話を聴いてくれるし、回答も簡潔明瞭だ。

まあ、耳は聞こえないが、聴覚障害の方には聴く耳があるのだから、当然の結果か。

あの人は、元気にしているだろうか。

同じことが、健常者になると上手くいかない。

健常者は、のべつまくなしに話して、しかも話している内容も、よくわからない。

そこで、筆談や手話にしようと持ちかけると「俺をバカにしているのか」と怒ったりする。

本当にバカなのだから、私は提案しているというのに。

傾聴のスキル、と叫ばれているが、聴覚障害の方にも求められている、という話を私は知らない。

おそらくは、差別なのだろうが、ある意味で、求める必要もないと思う。

彼らには、すでに聴く耳があるのだから。

話せばわかる、といって殺された首相がいたが、殺した方も殺された方も、健常者だ。

双方に聴く耳があれば、泥沼の戦争に突き進まなくて済んだろうに。

まあ、つんぼなのだから、やむを得ないか。

同様のことは、視覚障害にもいえると思うが、どうだろう。

今日はたくさん、差別用語を使ってしまった。

いかんいかん、差別はいけないことだ。

ただ、観る目や聴く耳のない人に、そんなことをいわれてもなぁ。