サボる、とはなんだろう。
こんな哲学的な問いを、職場で鼻くそをほじりながら考えている。
サボる、とは手段であり目的ではない。
サボることによって、なんらかの目的が達成されているはずだ。
それは、多くの場合楽して働くということだろう。
では、なぜ楽をして働きたいのか。
それは、楽をして金を得たいからだろう。
どうもサボる極致は、楽をして金を得る、というところにありそうだ。
つまりは、ひもか。
なにか確証があって、この結論に達しているわけではないから、検証する必要がある。
だが、この結論で間違いないような気もする。
少なくとも、違和感はまったくない。
ただ、ひもという言葉は、あまりいいイメージを持たない。
自立していない、怠惰、落伍。
そんなイメージだ。
となると、サボる極意は、ここにありそうだ。
堕落していて、かつそんなことはまったく感じさせず、社会的に欠かせない行為であり、仕事。
これがサボるということになりそうだが、こうなるとサボるというより、天職という表現が近い。
つまりは、公務員か。
批判もありそうだが、ひもであり、かつ社会的に欠かせないという点で、公務員は満点だ。
こんなことを考えていると、鼻くそをほじりすぎて、鼻血が出てきてしまった。
同僚が、心配して声を掛けてくれて、血が止まるまで、トイレに居ることになった。
最高だ。
ひんぱんにはできないが、鼻血を出すテクを、身に付けておくことにしよう。
ふと、公務員は幸せなのかと思った。
よくわからないが、大ハッピーとは、あまりきかない。
サボることは、人を幸せにしないのか。
なにか平和と、よく似ている。
誰もが求めるが、いざなってみると、大したことはないのかもしれない。
そうこうしているうちに、鼻血は収まっていた。