「一所懸命に仕事をしていない。もっと早く仕事ができるはずだ」と、上司を通じて同僚に言われた。
「それは妾の仕事のどれをどのくらいですか?」と返した。
「妾の仕事は、これとこれとこれとこれとこれです。これら全部を早くしてほしいわけではないでしょう。おそらく、どれか一つではないですか?その仕事はどれですか?その仕事を、どのくらい早くすればよいですか?」と訊いた。
その同僚もへなへなと弱っただろうが、また新たないちゃもんを携えて、妾の前に現れるだろう。
毎日仕事を一所懸命するのは、100メートル走の予選で毎回全力疾走するくらい滑稽だ。
決勝に勝ち上がりたいなら、予選なぞ6、7割の力で悠々勝ち上がれなければいけない。
3割でもよいくらいだ。
ただ、そんな予選でも、全力疾走で走らなければならない選手もいる。
決勝には残れない選手だ。
つまりは、弱い選手だ。
予選ですら、全力疾走をしないと、準々決勝には残れないのだ。
となれば、その同僚君は妾が悠々予選を通過しているのにジェラシーを感じていると考えるのが妥当。
それで「俺はこんなに頑張っているのに!」なぞと遠吠えて、八つ当たりしてきたのだ。
馬鹿らしさこの上なしである。
いや、馬鹿であるか。
一所懸命に、という言葉は、往々にして弱者の守り神なので、この言葉が出ると妾は「ああ、自分の弱さを認められないのだなぁ」と、予選を5割の力で通過するのである。