助け合いは美しいことだが、それを美化しすぎてはいけない。
ある程度他人に依存するのはやむを得ないとして、人間は基本的には一人で生きていく生き物なのだから。
医者に頼れることはありがたいことだが、医者に頼ってばかりいては自立した生活とはいえない。
それと同じように、助け合いは誠にありがたいことだが、助け合ってばかりいる社会というのは、結局のところ多くの人が自立していないことを意味する。
介護社会、とでも名付けようか。
日本ではこの「介護」の場面をよく目にする。
本当に些細な、誰にでも簡単にできることを「助けて」いるのだ。
助けた側はご満悦、助けられた側もへこへこと頭を下げ「ありがとうございます」なぞといっている。
こういうのを見ると、日本の社会というのは、本当は自立したくないのではなかろうかと思う。
自立を先送りにし「助け合うことは素晴らしい」と声高に唱えて「介護」してもらうことに慣れ切ってしまっているような気がする。
そして「介護」されなければ「礼儀を知らん冷たい奴だ」なぞといって、その人を批判するのだ。
なにやら「介護」というより「幼稚」のような気がしてきたが。
まあ、なんにしても、今の日本に大人は存在せず甘えたいだけの子どもと文句をいいたいだけの年寄りしかいないのは事実だ。
そんな人々の「助け合い」を見ていると、一度日本もウクライナのように、中国に軍事侵攻されればいいのに、と思う次第である。