熱海の思い出

昔、祖父母に連れられて熱海へ旅行に行きました。

そこで、オンボロのレーシングゲームをしていたのですが、(わたくしがヘタクソで)まったく先へ進めず涙目になりながら、コンティニューコインの百円をつぎ込んでいました。

しかし、十回もコンティニューすると、当時のわたくしの経済力の限界に達し、それ以上コンティニューすることができなくなりました。

すると、祖父がひょいと顔を出して「なんだ、しないのか」と言い、百円をくれたのです。

それだけではありません。当然ながら、一回コンティニューしたくらいで、ステージをクリアできるはずもなく、すぐに車はクラッシュして、またコンティニュー画面が出てきたのですが、祖父は嫌な顔一つせず「どうだ、もう一回」と言ってくれました。

私は喜んでうなずき、コンティニューをします。

そしてまた、すぐに車はクラッシュし、コンティニュー画面が出る。

「さあ、もう一回」と祖父は促す。

これが二十回くらい続きました。

そこでわたくしは、初めて形容しずらい恐怖とも違和感ともつかない感情に包まれたのです。

それまでのわたくしの経験、見識としては、あまりゲームに熱中すると怒られるもの、というものがあったのです。

しかし、祖父はそんなそぶりを全く見せず、まるで大金持ちのように(事実祖父は金持ちでしたが)次々と百円玉をくれたのです。

結局、25回くらいしたところで、その何とも言えない恐怖というか違和感が嫌になり祖父に「もうやらない」と言いました。

そう言われても祖父は「そうか」というだけで、特に何かするわけでもなく、家族のところへ戻っていきました。

これを後から振り返って「ああ、わたくしは真の勝負師にはなれない」と思いました。

本当に勝ちたいなら、あそこで一万円でも投入して、最後までクリアしたでしょう。

しかし、わたくしにはそれだけの根性というか、情熱がありませんでした。

もっと言えば、続けていくうちに「このままではどうにかなってしまうのではないか」という恐怖というか違和感のようなものが募っていくのでした。

真の勝負師には狂気が必要です。およそ人間では立ち入ることのできない「狂」の世界に入らなければ、勝負に勝っていくことは難しいものです。

そして、わたくしはその「狂」の世界を「怖い」と思ってしまいました。

そこが、わたくしがある一定のところまでは行けても、突き抜けるところまでは行けない原因なのでしょう。突き抜けるというのもまた「狂」の世界とよく似ているからです。

それがよいことなのか、悪いことなのか、誰にもわらないとは思いますが。

あの熱海の一件以来、真の勝負師になれなくてよかったと思う反面、その世界に足を踏み入れてみたい、という相反する感情が心の襞に引っかかっているのであります。