効率化

効率化の基本は、生産性の向上と心身の負担軽減の両立だ。

とかく生産性を追い求めがちだが、心身の負担軽減を両立できなければ、効率化とはいえない。

或いは、生産性は上がりつつ心身の負担は変わらない、またはその逆である。

「頑張る」がこと日本ではもてはやされるが「頑張る」は基本的に生産性を向上させ、心身の負担を増幅させるものだ。

それが「よいこと」とされているのはどうしてなのだろう。

似たような日本語に「身を削る努力」という言葉もあるが、どうも日本人は疲れ果てて最高の物をクリエイトすることが美徳らしい。

これは大日本帝国、或いはそれ以前の江戸時代武士道の感覚だ。

疲れていれば、なにやら「頑張っている」ような気がするし、そういえば妾の職場でも「疲れた」とちょっと下を向き、ため息交じりにかつ、忙しい(と普通の人は捉えている)状況が去った少しあとにぼそぼそとつぶやけばだいたい「大丈夫?」という言葉が返ってくる。

「なにを疲れているんだ!」と怒鳴られたことはない。

もっとも、劣悪な企業は知らないが。

自己防衛策にせよ、本当にそう思っているにせよ、この「頑張る」という魅惑の日本語は「私はしっかり仕事をしているだ」といいたいのだろう。

「しっかり」という抽象的な言葉を使い「仕事ができている」という主観的な述べ方をしている時点で、信憑性はあまりないが。

おかげさまで五十年間G7の中で労働生産性最下位を譲っていない国だ。

頑張っても労働生産性最下位なのだから、この国に効率化がもたらされる日は、まだまだ先のことになりそうだ。