命に嫌われている

先日「命に嫌われている」という歌の歌詞をつらつらと見ていた。

「まあ、なんとおめでたい歌だろうか」というのが妾の感想だ。

第一に「命に嫌われている」という曲名にあまりインパクトがない。

「ほーん、で?」で妾は終わってしまう。

「みんなが僕を殺しに来てる」ぐらいだったら「感心感心」と思えたが、BPOにでも引っかかるだろうか。

歌詞も「命に嫌われている」と連呼するばかりで、正直うんざりだ。

こんなチープな歌詞ではなく、もっと過激にすればよいのだ。

「みんなが僕を殺しに来る みんなが僕を殺しに来る だから だから 先に殺さなきゃ 殺さなきゃ だって だって みんな僕を嫌っているから」とかしてくれればよかったのに。

それに、命に嫌われていようと嫌われていまいと、とにかくは生命維持という仕事を果たしているのだから、嫌うのは命の権利だ。

それを「ひどい」とでもいわんばかりの歌詞のどこに人は共感しているのかわからない。

嫌いな奴とでも表面上は手を取りあって生きていこう、という気持ちもなしに、百年生きていけるほど、人生甘くないと思うが。

「命に嫌われている」という曲名、これは「繊細さん」とか「HSP」とかいわれているものと同じテクニックだ。

傷つきやすい、或いはすぐに落ち込んでしまう自分をまさか「バカ」だとか「アホ」とはいいかねる。

しかし、そんな自分を正当化しないと、アイデンティティの崩壊が起こるから、なんとかしなければ自我が崩壊してしまう。

そこで産み出された言葉が「自分は繊細なんだ」というものだ。

この言葉を初めて見た時は「なんと素晴らしい日本語だ。霞が関文学とはこのことだろう」と感動してしまった。

「バカ」でも「アホ」でもなく「繊細」といういかにも自分に責任はまったくなく、すべてを他責にできそうな(できそうなである。できるわけではない。結局は当人がアホなのである)日本語を持って来たあたり、これらを商業化した人間の勝利だ。

命に嫌われているも同様に、なんとも自分に責任はなくすべてが他責であるように感じるではないか。

或いは、ここに多くの人が共感しているのかもしれない。

だったら「おめでたい」という言葉がぴったりだが。

歌詞のワンフレーズに「お金がないので今日も一日中惰眠を謳歌する」というのがあるが、これをタイのストリートチルドレンたちがきいたらどう思うだろう。

「お金がなくても、一日中惰眠を謳歌できる場所があるなんて……」と羨み、それのどこに不満があるのか見当もつかないはずだ。

彼らは毎日生きるために戦っている。

「命に嫌われている」なぞ考える暇もなく、今日や明日のご飯にありつくために、懸命に生きているのだ。

それを滑稽だの馬鹿々々しいだのと思うなら、一度ストリートチルドレンとして生きてみればよい。

それこそ、彼らのような生活を経験しないでそう思うことがどれだけ滑稽で愚かで馬鹿々々しいか。

まるで「今日も刺身ご飯しか食べられないけれど、懸命に生きていこう」といっているようなものだ。

戦前生まれの人がきいたら「な、なんと贅沢な……」と開いた口が塞がらないだろう。

なにやらこう論じてくると、本当に阿保臭くなってきたし、イライラしてきた。

日本は豊かだ。

「うっせぇわ」や「夜に駆ける」なぞが、センセーションを巻き起こすくらいに。

こういう曲の歌詞の一つ一つを見る度に「平和ボケしとるなぁ」と、なごむやら呆れるやら。

十歳でPTSDうつ病パニック障害といじめと虐待と引きこもりと不登校を経験したから、こんな主観を述べるようになってしまったのだろうか、と思わなくもないが「生きるのが辛い」というわりに先に列挙したどれにも当てはまらない人間が多くいる中で「命に嫌われている」とか叫ばれてもなぁ。

とはいえ「彼らには彼らの悩みや辛さがある」という事実があるのも必ず考慮しなければならない。

「妾たちの昔に比べれば……」なぞと言い出したら、それこそ老害で、そんな人間はさっさと処刑されればよい、というのが妾の考えである。

ただ、先述を見てしまえば「昔に比べれば……」という言葉をやたら長く、うんざりする文章で書いているだけなのかもしれないが。

それは、読者諸君の判断に任せるとしよう。

こういうのを考えながら、「命に嫌われている」という曲に共感している彼らになにかいえるとすれば「まあ、君たちなら大丈夫だよ」である。

「助からないと思っていても助かっている」という言葉もある。ただ、辛い時にそう思えないのが難点だが。

気が向いたらルカによる福音書第五章一節から十一節を読んでみればいい。

この話も先述の言葉とよく似ている。

あきらめてもいい。他責にしてもいい。

今までと今、そしてこれからのあらゆる人々の様々なバックグラウンドに「生きて 生きて 生きろ」というフレーズは万人不変の情念として響くと妾は思っている。