完璧

私は完璧を目指しています。

しかし、常に完璧を目指しているわけではありません。

一年のうちに少しでも完璧な時間があれば十分だと思っています。

こう言うと、なにか後出しじゃんけんのように感じるかもしれません。

話は変わりますが、スペイン語にはSerとEstarという、英語のbe動詞に当たる動詞が二つあります。

スペイン語では主語に合わせて動詞が変化するので、英語の I am に当たる言葉はSerではYo Soy、EstarではYo Estoyとなります。

もっとも主語に合わせて変化するため、動詞の形を見れば主語がわかるという理由でYo(私)の部分は省略されることが多いのですが。

そしてSerには普遍的なもの、Estarには一時的な状態を表す働きがあります。

背が高い、金髪だ、雪は白い、という時にはSerを使い、疲れている、緊張している、忙しい、という時にはEstarを使う、ということです。

おそらく雪はずっと白いでしょうし、一生疲れているということもないからです。

これをあまり知らないでいた頃、スペイン語の先生に「君、友達はいるか」と訊かれたので「いません」と答えました。

そして私はなにげなくSoy triste(私は悲しい)と言いました。

すると先生が慌てて no! Estoy triste!(違うよ!私は悲しいだよ!) と言いました。

その時は意味がわかりませんでしたし、こうして日本語で書くと同じになるのですが、私の言った「私は悲しい」はSer動詞を使っているので私は(ずっと)悲しいというニュアンスになるのです。

ですので、先生は慌ててEstar動詞を使って、私は(今だけ)悲しいと言い直してくれたのです。

これに気づいた時、スペイン語という言語の素晴らしさに強い感動を覚えました。

これをもし日本語で言ったとしても不自然にきこえますし、なにより嘘くさく聞こえます。

話を完璧に戻しますが、もし最初の言葉をスペイン語で言うと「私は(ずっと、あるいは今だけ)完璧を目指しています」と明確に区別しないといけなくなります。

日本語には今だけ完璧を目指すやずっと完璧を目指す、という考え方はあまり馴染みがないかもしれません。

ですが、これを明確にすることは大切なことだと思っています。