差別

黒人は嫌い、ということは何故差別なのでしょう。

こんなことをいうと怒られてしまうかもしれませんが、私の嫌いなトマトとよく似ていると思います。

私は二十数年間、トマトが嫌いだと言い続けてきましたが、捕まったことは一度もありません。

「でも、一個は食べなさい」といわれるくらいで、怒られると呼ぶには程遠いものでした。

これはいわゆる、個人的な感情です。

嫌いや好きの感情は、自分では制御できません。

これを、差別と呼ぶのは難しいでしょう。

ですが、私はトマトが嫌いですが、トマトは人間が食べてはいけない食べ物だ、とは思っていません。

実際、トマトを使った美味しい料理はたくさんあるからです。

これは、客観的な事実です。

おそらく、ここが差別かそうでないかの大きな境目なのではないでしょうか。

トマトは嫌い、という個人的な感情は許されるが、トマトは人間が食べる食べ物ではない、という客観的な事実がないと差別になる。

こういうことなのではないでしょうか。

ただもう、黒人は嫌い、という言葉に、黒人は醜い、という意味が含まれている気もしますが。

ですが、個人的な感情と、客観的な事実は分けて考えたほうが、物事が見やすくなるのではないでしょうか。