評価

世の中の多くの評価は、偏見だ。

評価であるならば、なにかの尺度に従い、ただそれにその事象を当てはめていけばよい。

そして「この数値は、これをもっとこうすれば上がる」とか「この数値を維持するには、こうすればいい」など、具体的なアドバイスができるはずだ。

「しっかり」とか「ちゃんと」なぞという曖昧なアドバイスにはならない。

数値化され、機械化され、可視化され、感情的にならず、客観視できるのが評価ではなかろうか。

にもかかわらず、曖昧で不確かな尺度を使い人を測る人が、たくさんいる。

そんな人の多くは感情的で、主観的だ。そういう評価をきくと「これって違うんじゃない?」と思うことばかり。

それに、状況やその場のノリでも評価が変わるから、およそ評価とは呼べない。

偏見という言い方が適当だろう。

誰かから「評価」を受けた時、それは本当に「評価」なのか、ただの「偏見」なのか。

それを頭に入れておくだけで、他人からの「評価」に流されずに済むのではないだろうか。