「そんなの知らないよ」
私がこういった時、1950年なら許されました。
その知らないことを知る機会もなかったですし、私になにができたでしょう。
ですが、今は違います。
「ふーん、君はあまり学がないね」といわれてしまうかもしれません。
その知らないことを知る機会はたくさんあったのに、私は知ろうとしなかったからです。
ここが、現代の辛いところです。
知らないという言い訳は、もう通用しなくなり、知らなくてなにかが起こった時の責任は、すべて自分に跳ね返ってきます。
しかし、そんな時代に私は生きている、と認識することが大切なのではないでしょうか。
だとすれば、これからは「知らないです」とはっきりいえることが、重要になるのだと思います。