俳句の神様とは、いったいどんな存在だろうか。
私の思う俳句の神様は、俳句は詠まない。
十七音という文字の羅列に、存在しうるすべての言葉を当てはめたのが、俳句の神様ではないだろうか。
五十音、カタナカ、漢字。
十七音での組み合わせは、十の一万乗くらいはあるだろうが、それでも有限だ。
それを、すべて詠んだのだ。
俳句の神様とは、そんな存在だと思う。
だとすれば、そんな俳句の神様が「良い俳句」としている俳句とはどんなものなのだろうか。
あるにせよないにせよ、それは、神様の主観だ。
「これが良い俳句です」と神様にいわれたところで「なるほどぉ」と思うか「そういうもんかなぁ」と思うのは、個人の裁量にゆだねられる。
神様がいったから云々、といっても、結局私は良い俳句と思えないのだから、自分が良いと思う俳句を神様から教えてもらうのだろう。
結局、俳句とは主観なのかもしれない。
これからも、思うままの俳句を詠んでいこうと思った次第である。