成長はコントロールできるものなのだろうか。
妾もいろいろと成長してきたが、コントロールできたものは一つも無い。
身長も、知識も、筋肉も、将棋も、文章力も。
構想通り成長したものは一つとしてない。
成長というのは、予測不可能なのではなかろうか。
こうすればこうなる、のような科学的なものではなく、風が吹けば桶屋が儲かる、のような運やツキの部類ではなかろうか。
もちろんトレーニングもしないで筋肉をつけるのは不可能だが、それでも構想通りに筋肉がつくかというと、専門のトレーナでも付けない限り厳しい。
だから、成長のことはまああまり考えないで、とりあえず目の前のタスクをクリアにしていくことが大切なのではないか。
それを続けていくことが、成長するためには不可欠だ、ということだけはわかっているのだから。
順風は力漕に勝る、ではないが、成長がコントロールできないと思えば、いま成長できなくても、あまり焦ることはないし、成長したとしても「まあ運が良かった」と思って、過度に自分の実力だとは考えず、慢心もそんなにしない。
そうはいっても、それで平常心を保てる人間はすでに「ホトケ」になっているのだから、この成長というきまぐれな妖精に振り向いてもらうべく、必死に芸を見せているのが「努力」というものなのだろう。
滑稽、といってしまえばそれまでだが、好きな人に猛アタックすることは人生を豊かにするし、それを経験したあとで見えてくる景色は、一味も二味も違うものだと思う。