祖父はよく、私の母、つまり娘に芥川龍之介の「杜子春」を読み聞かせたそうだ。
「杜子春」は、杜子春という若者が、いろいろあって、仙人になる修行をすることになる。
所謂、無言の行というやつで、岩の上に座って、一言も喋ってはいけない。
それを見ていた悪魔が、杜子春にいたずらを仕かけるのだ。
なんとか耐えていた杜子春だが、業を煮やした悪魔が、死んだ両親を呼び寄せ、鞭を打つ。
「お前がしゃべれば、鞭打つのをやめてやる」と悪魔がいうのだが、杜子春はなんとか、必死にこらえている。
すると、杜子春の母親が「それでいいんだ。お前が仙人になれるなら、それでいいんだ」といった。
その言葉に、ついに耐え切れなくなった杜子春は母親に駆け寄り、たった一言。
「お母さん」
こうして、結局杜子春は仙人にはなれなかった。
これが、杜子春のあらすじだが、祖父は戦争中に母、つまり私の曾祖母を病気で亡くしている。
もともと体の弱い人だったらしく、祖父を産んだあたりから怪しくなり、一度授業参観に来たか来ないかの頃に亡くなったそうだ。
そしてやがて、祖父は大きくなり、兄弟の中で唯一大学を卒業し、就職し、定年退職する頃には、その会社のナンバー3にまで上り詰めていた。
その間に、祖母と結婚し、母と叔父が産まれ、2000万円するような家を、キャッシュで買った。
まさに、高度経済成長期の波に乗った、時代の寵児だった。
おまけに祖父は、酒は強い、色事に興味がなく、歌は上手い、囲碁や将棋ができて、義理に厚く、仕事もたくさんした。
傍から見れば「成功者」という言葉がぴったりだった。
ただ、祖父としては、心のどこかで、この姿、立派になった俺を母に見てほしい、という気持ちがあったのだろう。
だが、まさか「母に会いたい」なぞ「男が言ってはならん」と一蹴されそうな時代だったから、祖父も見えないところで、苦労は絶えなかったと思う。
だから、それを紛らわせるために「よし!杜子春を読ませてやろう!」と、母にいったのではないか。
どんなに美辞麗句をしたところで、結局、心に届くのはありふれた言葉だ。
それを心に留めながら、あの頑固ジジイの葬式に出席できてよかったと思うのである。