名古屋ゲートタワーにあるピアノを弾いたが、散々たる様だった。
聴いていた人は、さだめし不愉快な思いをしたことだろう。
グランドピアノに練習不足はごまかせないのだ。
妾はピアノをし始めてもう20年以上になる。
小学一年生の時、ピアノ教室に通い始めたのだが、そのピアノの先生はピアノの授業と同じくらい、自分の家の掃除を来ていた生徒にさせていた。
かなりの広さがある先生の家で、やれトイレ掃除やら雑巾がけをさせられて「なにゆえ、金を払ってまで他人の家を掃除せにゃならんのだ」と、子ども心に憤慨していたのだが、いまではそれがとても役に立っている。
つまり「ピアノ弾けるだけじゃいけないんだ」と先生はいいたかったのだ。
ピアノで超絶技巧ができても、私生活がだらしなければ身を滅ぼすと知っていて、こういう指導をしたのだろう。
そうなったのはおそらく、ピアノしか弾けない人をたくさん見てきたからであって。
確かに、ピアノを弾けなくても生きていけるが、自分の家を掃除できないで生きていくのはなかなかに難しい。
ただ、きれいに掃除できなかったからってあんな大声で怒鳴らなくても、ねぇ。
結局、そのピアノ教室は小学五年生の時にやめてしまったが、あの経験にいまとても感謝している。
だから今までピアノを続けてこれたのだが、いま一念発起して、もう一度本気でピアノの勉強をすべく、ヤマハや島村のピアノ教室に通ってもいいが、授業の一環として部屋の掃除をさせてくれることはないだろう。
あの先生のやり方が内弟子制度、旧態依然の考え方、といってしまえばそれまでだが、ピアノもまた芸事であり、それに伴って身に付けられる処世術もあると思う。
それを伝えながら、ピアノも上手くなっていくことが、人が人に教えることの醍醐味なのではないかと思い、先生がなんとなく楽しそうに指導していたことが、よく思い出される。