妾は愚痴や悪口は生理現象の一つだと思っている。
愚痴や悪口をしなくなると、人間不健康になるのではなかろうか。
食べるものを食べたら出るものは出る、というのが人間で、愚痴や悪口も同様だと思う。
体にいいものであれ悪いものであれ、体内に吸収されればその残滓は排泄されなければ体内の循環が上手くいかず、様々な影響が出てしまう。
トイレに行くのが嫌だからと食事を一切取らない人はいないだろう。
ただ、トイレであれ愚痴や悪口であれ、定められた場所でしてほしいと思うはずだ。
公衆の面前でされてはたまったものではない。
愚痴や悪口もトイレと同様、公衆衛生上聞いたり見たりすると不快の思うものだ。
トイレの写真を見せられて「不快に思うな!」とは無理な話だ。
また、自分のトイレを写真に撮ってツイッターやインスタグラムに投稿する人はかなり少ない。
それに抵抗を覚える人がほとんどではなかろうか。
にもかかわらず、これだけ愚痴や悪口が氾濫している昨今の目には見えない公衆衛生状況はかなり悪いと思われる。
社会が大きくなると、どうしても汚物は出てくるものだ。
産業革命以降のイギリスでは、あまりに都市部の人口が増え、汚物の処理が間に合わなくなり、それまですべての汚物を海に流していたのだが、ある満潮の時についにそれらがテムズ川を逆流して、そのあまりの臭さに国会が閉会する事態にまで追い込まれた。
そしてこれを機に、イギリスでも公衆衛生が考えられるようになった、と昔衛生学の先生が話していたが、それと同じようなことが愚痴にもいえるのではないだろうか。
目に見える公衆衛生が整った今、愚痴や悪口といった目に見えない公衆衛生の問題が散見されている。
これらを、野放しにするのは中長期的に見てよくないと思うが。
それに、日本では「肥溜め」といわれるようなものもあるのだから、一概に愚痴や悪口が悪いともいえないと思う。
適切に処理すれば、有効活用が出来そうなものだ。
トイレでも「今日はいい」や「なんだか今日は悪い」などがあるのだから、愚痴や悪口の内容でその日の調子も判断できそうなものだが。
今回の話は汚いのでここまでにするが、愚痴や悪口を溜め込まず、適度に排泄できる世の中が、比較的良い世の中だと思っている。