正しさと神はよく似ていると最近思った。
「神に祈れば助けてくださる」と「正しい行いをすれば上手くいく」は同じだと思ったからだ。
神を信じる者にとっては神が、それ以外の者にとっては正しさが生きていく上では欠かせないピースなのだろう。
この世のほとんどの人は、神であれ正しさであれ「AであればB」というような、単純な公平世界仮説を信じて暮らしている。
それこそがこの世の真理だと思っているし、おそらく考えたところで、それ以外の結論に達することはできないのだろう。
そんなことをつらつらと職場で鼻くそをほじりながら考えていて、ふとこういう考え方だからこそ、人は幸せになれるのだと思った。
単純な、或いは無謀とも思えるほどの無知だから、幸せだと感じることができるのだ。
「ああでもない、こうでもない」と考えながら、高い幸福度を感じることは容易ではない。
それに比べて、空き樽のような人間は、意外と幸福度が高いのかもしれない。
高い幸福度に欠かせないファクターとして「考えない」があるのだから。
ひょっとすると、空き樽のような人間の幸福が、人生を豊かに彩るのだろうか。
幸福を求めていくと、実はそれは阿保になるということだった、というのを今度ショートショートで作ってみようか。