自分勝手

今の時代はもっと自分勝手に生きていいように思う。

それではいけないとか、いろいろきこえてきそうだが、それは単に昔の貧しさを現代に押し付けているだけではないだろうか。

確かに戦争中は食べるものに苦労したが、いま明日の食事で困っている日本人はかなり少ない。

そして「明日の食事に困る経験をしたほうが、後々の人生で糧となる」と熱弁する日本人もかなり少ない。

妾たちは、ドキュメンタリーなり自分の親や祖父母の世代から、どれくらい戦後、日本が食料不足にあえいだか伝えきいているからだ。

それをきいて「ざまあみやがれ。お前らみたいなカスとは生まれた時代も才能も違うんだよ」と思う人も少ない。

「ああ、そんな時代もあったんだ。いまの僕たちは豊かなんだ。それをありがたいと思おう」と多くの人は思うようになる。

自分勝手も同様で、自分勝手で生きてはいながらも、過去に自分勝手に生きてこれなかった人に思いを馳せ、それを享受できているありがたさを心のどこかで感じながら暮らしていく。

そんな生き方があってもいいのではなかろうか。

「自分勝手はいけません!」という言葉が、妾にはどうも「欲しがりません、勝つまでは」にきこえてしまう。

そして、その発言をしている人の多くが、旧態依然の価値観、考え方を蔓延させ、日本の発展、進歩を妨げている、と考えるのは妾の偏見によるものなのだろうか。