時代

妾たちは日々豊かになっている。

それを否定する人はあまりいない。

となれば、妾の生まれた時より、世界はより進歩し、豊かになっているということだ。

つまり、妾の受けた教育は、相対的に貧しいものになっている。

妾の子ども時代は、学校にクーラーはないし、暖房ではなくストーブだった。

運動中に水を飲むことは禁止だったし、学校に携帯電話を持ってくるなど言語道断だった。

だがいまや、これらはすっかり過去の話になっているのだ。

だから、今の高校生と話をしていると、驚かされることもよくある。

森繁久彌を知らない、といわれた時には、さすがに驚いた。

じぇねれーしょんぎゃっぷ、というものである。

「常識」とか「当たり前」というものは、日々変わっていくものだ。

感覚的には、十年でフルモデルチェンジ、といったところだろうか。

そんな世の中で、妾の時代の感覚を持ち出したところで、舟に刻みて剣を求む、という諺そのものだろう。

時代に合わせていかなければならないのは、むしろ妾たちのほうなのだから。

森繁久彌を知らないといっていた高校生は、最近はアニメもゲームもせず、ユーチューブばかり見ているそうな。

これも、妾の頃には考えられなかった娯楽だ。

時代は変わっている。そして、そこにある面白さ、楽しさを妾は実感してみたい。

ただ、その高校生に「よっこいしょういち」といっていては、無謀なことなのかもしれないが。