令和十五年

昭和元年の感覚で昭和六十年は生きていけない。

平成元年の感覚で平成三十年は生きていけない。

だったら、令和元年の感覚で、令和十五年は生きていけないのではないだろうか。

誰かがそういっていた(岡田斗司夫さんだったか?)

確かに「天皇陛下万歳」を昭和六十年にしたら凄いことだったろう。

そして、平成三十年にゲームボーイで遊んでいた人はどれくらいいただろうか。

これ所謂横並び論法というやつで、「いままでこうだったから、これからこうなるだろう」というやつだ。

この横並び論法というやつは、短期的スパンでは非常に信頼できる。

「三百羽連続で黒いカラスが来た。じゃあ、三百一羽目も黒いカラスだろう」という具合だ。

だから、私もこの論説を支持している。令和十五年。それは妾たちからは想像もできない社会なのだろう。なんといっても、平成の倍、昭和の四倍のスピードで変化している社会なのだから。

スマホツイッター、メタといった、いま当たり前にあるものがなくなっているかも知れない。

そして、それらに凌駕するテクノロジーが席巻しているかもしれない。

メタバースなどは、それの筆頭になるだろうか。

いずれにしても、あと十年以内に世界は激変する。そして、それに対応する、というのは、なかなか難しいことだと思っている。

人間はどうしても古い価値観を引きずってしまう生き物だから。

令和十五年の変化についてけない日本人は相当数出てくることになるだろう。

なら妾はなにをするべきか。

この流れに対応できるかどうかはともかく、とりあえず、これからはテレビを見ないようにするところから始めたい。