今週のお題「サボる」
サボる本質は本能です。
「やらなくていいことはやらない。やらなければならないことは、手短に」ではないですが、やらなくていいことはやらなくていい、というのが原始時代までの生活でした。
それに、いざというときのための余力を残しておくという意味合いもありました。
しかし、時代が進み資本主義経済になると、いかに無駄な動きをさせて金を巻き上げるか、というのが主眼になります。
そこから、サボることが本能的な生きる知恵から、経済的な罪になりました。
禅のお坊さんが、スーパーマーケットで爆買いするとは思えません。
おそらく「私はこれだけあれば十分です」というでしょう。
これでは資本主義経済のエンジンは機能しなくなります。
だから、自分で生み出す幸福より、手に入れる幸福を素晴らしいものだと定義付けました。
サボるは、自分で生み出す幸福なので、それで手に入れる(お金を使う)幸福と同等程度の幸福が得られると気づかれては、困るのです。
なので、サボることを悪にして、頑張ることを善としました。
ニートやフリーターを嫌うのも、同じ考え方です。
しかし、今の幸福はいかにお金を使わないかにあります。
ちょうどなにもできなかった高度経済成長時代に、なんでもできるように振る舞った人がいたように、なんでもできる低成長時代に、なにもできないように振る舞うのが今の幸福です。
これは、昭和三十年代の生活を今の価値観でリバイバルするのが、手っ取り早いのではないでしょうか。
なにもない、或いは最小の持ち物で暮らしていくということが、なんでも手に入る時代の豊かさです。