ある時「これなら嫌でもやれる」といったのだが、ふとこの言葉が大切なのではないかと思った。
「嫌でもやれる」というのは、人生の豊かさの一つとして存在していそうだと思ったからだ。
よく「好きこそものの上手なれ」というが、実際問題好きなものだけをして生きていくことはできない。
当然嫌なものだってある程度はしていかなければならなくなる。
そんな嫌なものでも「嫌でもやれる」なら、まあ多少不機嫌になるくらいで、やれるのだからやればいいのではないか。
仕事などはその典型例だろう。
そもそも論になってしまうが、妾には「嫌だからやらない」という考え方があまり理解できない。
それはただ「嫌」なのであって「できない」ということではない。
「嫌でもやれるならやるべきだろう」と思ってしまう。
肝心なのは「好きか、嫌いか」ではなく「できるか、できないか」なのだから。
やらなければならないことを、できるときにできるだけする。
そして、やらなくていいことならやらない。やらなければならないことは手短に。
これはシンプルな考え方だと思っているがどうだろう。
行動を「好き嫌い」ではなく「やらなければならない、やらなくてもいい」で考えれば、案外行動の選択肢は多くないと思っている。