文体

羽生善治先生はたくさんの本を書かれていますし、わたくし自身羽生先生のことがとても好きなので、書かれた本をよく読んでいます。

ただ、書かれ方、書き方に時代の流れがあるのでしょうか。

「決断力」の剛とも呼べる文体に対し「迷いながら、強くなる」は柔とも呼ぶべき、軽やかな文体になっています。

「決断力」は2005年「迷いながら、強くなる」は2013年に出版されました。

勿論羽生先生の中で心境の変化、文体の変化はあったと思いますが、わたくしの偏見で見ますと2011年3・11の影響が大きかったのではないかと思います。

あの日以来、日本が360度変わったのではないかと思うくらいですが、あの地震津波と同時に俗にいう「受ける文体」も変わったのではないかと思います。

以前はやや乱暴でも、強く物事を主張する文体が好まれていたように思います。

ですが今は、多少曖昧でも軽やかで、断定形を少なくし、あまり物事を強く主張しない文体が好まれるようになったのではないでしょうか。

「想定内」や「想定外」「自己責任」など、3・11以来、強く物事を主張すると、あとでなにがあるかわからない、というようなことが続いたからです。

それを踏まえて「受ける文体」が柔らかなものになったのではないでしょうか。

それに良し悪しをいっても是非のないことでしょう。

時代の流れなのでしょうから。

ただ、柔和な文体が実は村社会的な、結局は少数にすべてを押し付けるものになっている、感じるのは、わたくしだけなのでしょうか。

しかし、羽生先生ともなればそれらを頭に入れながら文章を書けるだけの技量がありますから、釈迦に説法とはまさにこのことなのかもしれませんが。

そんな剛の時代でも柔の時代でもヒット作を書かれている羽生先生は、将棋だけでなく文章でも卓越した才能を持っておられるな、と思う今日この頃です。