仕事に全力

仕事に全力で取り組めるというのは淋しい、と思うようになりました。

一般的には、素晴らしいこととされているようですが、仕事に全力で取り組めるのなら、その取り組んでいる人には、家族もなければ、家庭もなければ、友人もいない、ということになるのではないかと思うからです。

例えば、自分の子どもが高熱を出したとします。看病してやりたい気持ちもありますが、どうしてもその日出席になければならない会議がある。だから、泣く泣く子どもを一人残して会社へ出社した(ここで休めないところが日本の悪いところにも思えるのですが)

しかし、出社したはいいものの、子どものことが気になり、なかなか会議に集中できず、上司や同僚に叱られる。

上記の話をすれば、誰でも一定の了解を得られることと思います。

ここで「大丈夫。子どもの風邪なんて気に病むことなどない」といえる親が、どれほどいるでしょうか。もしいえるのなら、その親をよい親だとわたくしは思えないのです。

ですが、こんな状況でも仕事に全力で取り組むことのできる人は(わたくしの思う悪い親は)、子どものことなど気にならず、バリバリ仕事できるでしょう。

その親にしてみれば、子どもが高熱を出している出していないは、仕事に影響を及ぼすほどではないのです。

これに、わたくしは少し歪さを感じるのです。

上記の例を、友人や、親戚に置き換えてもいいかもしれません。

家族や友人、親戚を本当に大切に思っているなら、その人が苦しんでいる時に、仕事に身が入らないのは、至極当たり前なのではないでしょうか。

ですので、いつも仕事に全力で取り組んでいる人を見ると、わたくしは「この人から仕事を取り上げたら、なにが残るのだろう」と思ってしまうのです。

仕事に全力で取り組む、というのは、一見素晴らしいように見えて、実は、仕事に全力で取り組めないほうが、人間らしい生き方なのだと思います。