驚き

人類が初めて宇宙散歩に成功したとの大々的なニュースに接した。だが私は別に興奮もしなかった。少しは感激しないと悪いような気もしたが、この種の光景は映画やテレビですでにおなじみ。もっとすごい場面に何度も感情移入を繰り返してきているので、今さらどうということもない。

                      星新一 「きまぐれ星のメモ」

チャットGPTが一時期世間を賑わせました。もしかすると、わたくしが疎いだけで、いまでも賑わせているのかもしれません。

ですが、わたくしはチャットGPTが出てきても特に感慨はありませんでした。

どちらかというと「やっと来てくれましたか」という気持ちのほうが大きかったのです。

星先生のような先達たちが、あれやこれやと不思議で且つ実用的な発明を、漫画なり小説なりでたくさん発表していて、それに子どもの頃から触れているわたくしは「はやくこういうのが出てきてほしい」と思うばかりで「驚き」という感覚は皆無でした。

なんであれ「驚く」というのは、予測と違うから起こることでしょう。

ですから、先達たちが予測した通りのこのチャットGPTの出現が世間を賑わす、というのが私は不思議でならないのです。

今を生きている人たちは星先生やドラえもんに触れて育ってきているはずなのに、これくらいのことで驚いたり、賑わったりするのか、とわたくしは驚いています。

未来予測というのは、生きていれば、誰もが一度は考えるテーマの一つなのではないでしょうか。

これからもチャットGPTのように、様々なテクノロジーが開発されると思いますが、それらのほとんどは先達たちがすでに空想の世界で発明しているものであって、それらが具現化しているにすぎません。

スマホであれ、インターネットであれ、SNSであれ、です。

それらに一つ一つ驚いたり、賑わっている人たちを見ると、思っているほど、未来のことを考えながら日々過ごしている人は少ないのかもしれない、と思う今日この頃です。